われ帰還せり




みなさんは、山本五十六長官を知っていますか?
自分は郷里のこの偉大な先輩のことをこれまで、「地元の、戦争時代の何だか有名な人」くらいにしか思っておりませんでした。
しかも同じ高校出身だったので何かもっとあったはずなのですが、要は戦争の事となるとよくわからない・・と脳が全てスルーしてきてしまっていたのです。
ようやく己の愚かさに気付かされたし。
自分はこの偉人をさしおき、郷里にて何を成して来たのか・・


新潟に帰ると言ったら、スバルの前身である中島飛行機とかが好きな亮介さんが「五十六記念館に行きたい」と言いました。
また、長官が魚雷を長岡高校に寄贈したのだが、いまどこかに移されていてそれを見たい、というのでその謎加減から興味が出て来た気がする。
記念館にて五十六長官の激動の一生、新潟県民らしい人柄や数々の書に初めて触れ感動、そして最期に載っていた一式陸攻の翼の一部、そして座席の展示がなまなましく胸を打ちました。
そして生家を訪れました。





訪れるというか、誰もいなくて開けっ放し・・
中に入ると畳の上に長官の巨大な像が。
しかしここ、公園になっていて、そういえば高校のとき来た事があるような気も・・みんなで花火したとこだっけ?
魚雷については記念館の人にも尋ねてみたが、地震の後移されていまどこにあるのかそういえば知らないみたいな感じで、平潟神社に行ってみたら、ここではなかった。やはり悠久山のほうだったか・・


帰って来たら、今まで興味がなくて読めなかった戦争の本が、だんだん読めるようになりました。
空母というのは、大きな船の上で飛行機が飛んで行ったり戻ったりする基地です。
終戦の頃のTVは毎年必ず見るのですが、本はわからない言葉がたくさんで、あと何で戦争になったのかがゴチャゴチャして全然頭に入って来ず、要は話が自分に通じていなかったのが、長官のおかげでわかってきました。
なにごとも興味・・
長官、ありがとうございます!
常在戦場